真磨箏 弐 三曲目

15分休憩の後の三曲目「石山源氏(上)」です。この上下が、今回のメインテーマとなりました。数ある曲の中なぜこの曲にしたか。まだ題名しか知らなかった昔、「難しそうな曲だなあ、題名からして」と思い、なかなか手つかずにしていたのですが、チャンスを得て内容を知った時に「なんと荒唐無稽な話なんだ」と大爆笑したのが始まりです。面白ポイントは3点。1つめは、まあ、紫式部の亡霊が出てくる、は、なにかの亡霊が出てくるはわりとよくあることなのですが、その亡霊が、自分は源氏物語という嘘八百の物語を世に出したかどでただいま地獄に落ちている、という点。そんな事言ったら世の中の全ての人間は地獄に落ちることに、しかも生まれながらに業を背負っている、などの深刻な話ではなく、例えば何かの劇をやるだとか誰かの真似をする、カラオケを歌う、などなど、罪?という罪で地獄に行かなければならないじゃないか!と思った点。2つめは、その亡霊が、自分の供養ではなく、主人公である光源氏の供養をして欲しい、そうすれば自分も成仏出来るから、と法印にお願いする点。主人公の供養?え?どうやるのそんなの。法印もよく受けたなあ、と。そして3点目、全ての回向が終わったところで、実は紫式部というのは石山寺の観世音菩薩の化身である、といってめでたく終わる、という点。え?え?紫式部って実在の人物ではないの??と。以上の感想を持ちながら、お弟子さんに教える前にあらすじを説明したところ「ファンタジーじゃん」との答えが。この言葉により、僕とこの曲との距離は一気に縮まり、もはや難しそうな曲ではなくなり、むしろこんな考えをしてる人間がリサイタルにかけたら、ならではな演奏になるのでは、と思ったからです。
当たり前の話なのですが、萩岡先生がタテということは、ツレは萩岡の節に合わせなければならない。自分はこのことを当初深く考えておらず、まあ口パクでいいや、一人歌のとこだけ頑張れば、くらいに考えていたのですが、だんだん日が迫ってきたころ、いや、待てよ。この後に(下)があるじゃないか。こちらは僕がタテなわけだから上原の節でやらせてもらえるわけだが、山登松和先生鈴木厚一先生が口パクではなく完璧にツレてきたらどうするんだいや絶対にしてくるそしたら(上)の僕の口パクがバレバレになっちまうじゃねーかそんな恥ずかしい思いを上原のお客様にさせるわけにはいかねーぞ、と、考え方としてとても不真面目な考えから、目の色変えて萩岡の節に取り組みました。結果は70点といったところ。思い至るまで、取り掛かるのが遅かったことが最大要因で、一重に僕の至らなさのせいです。そして三味線も、あとで先輩からもっとつけ、つけれるはずだ、とありがたいお言葉を頂戴しました。おっしるとおり。(下)、びたびたにくっつけていただきました。しかも、こちらがほぼシグナルを出さなかったのに。
まだまだ、を、痛感した(上)でした。

